自分はかわいそうじゃなかった。
ずーっと自分は不幸だと思ってきた。
肌はアトピーで荒れやすいし、
ADHDだし、
骨格ゴリラで太ってるし、
むくみまくる体質だし。
挙げたらキリがない。
母親から「あなたはかわいそう」って言われてきた。
だから「自分はかわいそうな子なんだ」と信じて疑わなかった。
それから肌が汚いこと=かわいそう、だとしし、
いわゆる世間でバカにされがちな
太ってたり体に特徴がある人はみんなかわいそうだと決めつけていた。
自分をかわいそうと思う人の心理はそこから派生する。
➝私はかわいそうでみじめだから一人じゃ生きていけない。
➝そうだ、誰かに助けてもらおう。依存しよう。
そんな構造で依存体質に簡単に陥ってしまう。
最近付き合った人は、依存したくても全然思い通りにならない人で、
それが苦しいのもあって、
「私太ってるし隠してたけど肌汚いし別れよう。」
って言ったら、
「え、肌のことは知ってたよ。」
って返されて、それでも別れたくない。って言ってくれた。
それが私には衝撃だった。
肌が汚くても受け入れてくれる人いるんだ。
少し、ちょっと自分の世界が変わった気がした。
そこからひとりで自分の感情を眺めてみた。
自分を苦しめるものの正体は何なんだろう、って思考のクセを思い出してみる。
そしたら奥底で
「私かわいそう」
って言葉が浮かんできた。
もしかして私が長年依存とかうつで苦しんでた大元の原因ってコレ?
私かわいそう思考が行きつく先って何だ?って深堀してみたら
前に書いた依存へのゴールにたどり着いた。
そうだったんだ、私が辛かった原因って、
自分を自分でかわいそうと思う気持ちだったんだ。
じゃあ、自分はたとえどんな状況だろうとも
かわいそうなことなんてないな、
それにこの世にかわいそうな人なんて一人もいないんじゃないか。
って仮定して生きてみようって。
私はかわいそうじゃなかった。
その暗示だけで世界が急に明るくなって、
かわいそうじゃないから不安もないし、
私何してもいいんだ。って思考に切り替わりつつあるのが実感できている。
今まで、自分ひとりだけ忙しかったり用事させられたりしたら
「私かわいそうなのにさらにかわいそうにさせるなんてヒドイ!!!」
って怒ってけど、もう私はかわいそうじゃないから大丈夫かもしれない。
私はかわいそうじゃないからどんなことがあっても乗り越えられるかもしれない。
そう思ったら強く生きていけそうな気がした今日この頃です。