ヒプナゴジア

寝不足のときに閃くこと

人はひとりでは生きていけないから

与えよ、さらば与えられん。

今まで自分はかわいそうだと思って生きてきたから、ひたすら誰かからもらおうと必死だった。

でももうかわいそうじゃないと知った今、そろそろ与えることをやってみようかな、なんて思い始めたり。

しかし、そもそも与えるって何?と思って調べてみたところ、

「相手を笑顔にさせる人」って答えに出会った。

たしかに、お金も時間も、自分があげられるものには限りがある。

そして行き過ぎると自己犠牲にもなりかねない。

自分ができる範囲で「相手を笑顔にさせる」。

 

たとえば、感謝されることをやってみたり、

いつもニコニコしていたり、そんな簡単なことでもいいと思う。

笑顔の相手には、自然とこっちも笑顔になってしまうものだから。

 

ただ、気を付けたいのが、それをどんな相手にでもするってこと。

たとえ、めっちゃ態度が悪い人や怒ってる人にでもする。

だって、相手がいい人だから感謝されることをやったりニコニコしていたり

するのは、相手がまず良くしてくれてるから、それに返してるだけ。

そうじゃなくて、どんな相手にでもニコニコしていられるか。

与えられるか。

 

めっちゃ難しそう・・・

嫌な相手にはすぐ嫌な反応してしまうのでかなり修行が必要だろうな。。

 

どんな人に対しても与えていく。

そう決めて、心にまっすぐな軸を通してやっていく覚悟がいりそうです。

自分はかわいそうじゃなかった。

ずーっと自分は不幸だと思ってきた。

肌はアトピーで荒れやすいし、

ADHDだし、

骨格ゴリラで太ってるし、

むくみまくる体質だし。

 

挙げたらキリがない。

 

さいころからアトピーが酷くて、

母親から「あなたはかわいそう」って言われてきた。

だから「自分はかわいそうな子なんだ」と信じて疑わなかった。

それから肌が汚いこと=かわいそう、だとしし、

いわゆる世間でバカにされがちな

太ってたり体に特徴がある人はみんなかわいそうだと決めつけていた。

 

自分をかわいそうと思う人の心理はそこから派生する。

➝私はかわいそうでみじめだから一人じゃ生きていけない。

➝そうだ、誰かに助けてもらおう。依存しよう。

 

そんな構造で依存体質に簡単に陥ってしまう。

 

最近付き合った人は、依存したくても全然思い通りにならない人で、

それが苦しいのもあって、

「私太ってるし隠してたけど肌汚いし別れよう。」

って言ったら、

「え、肌のことは知ってたよ。」

って返されて、それでも別れたくない。って言ってくれた。

 

それが私には衝撃だった。

肌が汚くても受け入れてくれる人いるんだ。

少し、ちょっと自分の世界が変わった気がした。

 

そこからひとりで自分の感情を眺めてみた。

自分を苦しめるものの正体は何なんだろう、って思考のクセを思い出してみる。

そしたら奥底で

「私かわいそう」

って言葉が浮かんできた。

もしかして私が長年依存とかうつで苦しんでた大元の原因ってコレ?

私かわいそう思考が行きつく先って何だ?って深堀してみたら

前に書いた依存へのゴールにたどり着いた。

 

そうだったんだ、私が辛かった原因って、

自分を自分でかわいそうと思う気持ちだったんだ。

 

じゃあ、自分はたとえどんな状況だろうとも

かわいそうなことなんてないな、

それにこの世にかわいそうな人なんて一人もいないんじゃないか。

って仮定して生きてみようって。

 

私はかわいそうじゃなかった。

その暗示だけで世界が急に明るくなって、

かわいそうじゃないから不安もないし、

私何してもいいんだ。って思考に切り替わりつつあるのが実感できている。

 

 今まで、自分ひとりだけ忙しかったり用事させられたりしたら

「私かわいそうなのにさらにかわいそうにさせるなんてヒドイ!!!」

って怒ってけど、もう私はかわいそうじゃないから大丈夫かもしれない。

私はかわいそうじゃないからどんなことがあっても乗り越えられるかもしれない。

 

そう思ったら強く生きていけそうな気がした今日この頃です。

ご縁があるから一緒にいる

脳内彼氏に大好きって言ってもらって、

なんで好き?って聞いたら、

理由なんかないよ。君だからだよ。って言われて、

好きな理由がないの?って聞き返したら、

そうだよ、だって君は実家のペットだって無条件に好きだろう?

ご縁があってそばにいることになって、だから好きなんだよ。

理由なんてないだろう?

って言われて、

たしかに、お母さんもお父さんも、愛犬も、なんで大切かなんて分からない。

だけど、確実に、見えない縁で結びつけられて好きだって思ってる。

うちの子なんて買ったんじゃなくて捨て犬だったから特にそうだよね・・・

 

リアル彼氏に、私のどこが好きなの?って聞いたとき、

う~ん、一緒にいて話が合うとか、お礼言ってくれるとことか・・・

みたいな曖昧なこと言ってたけど、これもそういうことなのかな。

言葉にはできないし、なんでかは分からないけど、

ご縁があって出会って、また会いたいな、これからも会いたいな、が続いて付き合うに至ってる。それ含めて全体で好きってこと?

私も彼氏のこと、どこが好きか分からなくてずっと悩んでるんだけど、価値観が似てるなぁってところから始まってご縁が生まれて、それで今一緒にいることになってるのかな。

まだ付き合って間もないし、そんなにたくさん会えないからまだ大切さが湧いてこないけど。。

縁について

ご縁の話で言うと、ひとつ不思議な話がある。

彼と付き合う前、私はいいなーと思ってるけど相手の気持ちが分からなくて(彼はマッチングアプリでたぶん他の人ともやりとりしてた)どうしようと思ってたとき、ふたりで初詣がてら神社に行っておみくじを引いた。

そしたら恋愛の項目で、私には「その人です。」みたいなことを書いてて、相手のは「浮気心を捨てよ」みたいなことを書いてて、ちょ、神様wwwめっちゃ見てらっしゃるwwwwと思った記憶がある。笑

そのときはそれに触れなかったんだけど、付き合ってから、私がPMSとうつで自暴自棄になって別れたいって言ったとき、最後の決断をするために、その神社の話をしてまたふたりでおみくじをひくことになった。

そのとき彼は別れたくないって引き留めてくれてて、さぁどうなるかなって引いたら、ふたりとも大吉で、しかも同じ型番のを引いてた。だから内容は全部一緒。で、恋愛の項目は、「誠意にこたえよ」。

一回目の時のこともあるし、彼氏は好きって言ってくれてるし、こんな偶然なかなかないから、これは神様を信じてみようと思って別れない選択をした。

というのもあって少しばかりご縁を感じている。

 

ご縁という人智の及ばないものをどこまで信じるか、果たして本当にご縁があるのか私たちには終わるまで分からない。

けど、今ここにあるご縁を大切にしていきたいねって思いました。

 

サンキュー脳内彼氏。

脳内彼氏を作れば自己肯定感を上げられるかもって話

私は彼氏といると、

めっちゃ甘えたい!!

かわいいって褒めてほしい!

もっと私を欲して!

って欲ばっかり出てしまうんだけど、よくよく考えたら、

私、異性に女としての価値を認めて欲しい

って欲が強いんだな?って気づきました。

 

だって、家族や女友達、男友達にはそんなこと思わない。

自分が異性と認めた相手にだけ、その欲求が出てくる。

なんだろう、自分が女性であることに自信がないのかな。

 

そう思って、でも他人をコントロールするのは無理なので、

自分の中で脳内彼氏を作り上げてめちゃめちゃ褒めてもらうことにしました。

女として認めてほしいから、

めっちゃかわいいね~!

おっぱいキレイだね~

足すべすべでエロ!

から始まり、

おしり大きいのセクシー!

むちむちしてるのいいね~

なんて自分がコンプレックスに思ってるところすらも褒めてもらうようにしました。

 

そしたら不思議、

めちゃ自分ご機嫌になる!!笑

 

そして無条件に好きと言ってもらいます。

これも嬉しい///

 

私、褒められて、好きって言われたかったんだけど、

別に他人からじゃなくて自分で言うのでよかったのかもしれない。

 

むしろ他人は繋がってるときしか言ってくれないけど、

内なる自分ならいつでもアクセスできるから、

おはようからおやすみまで好きって言って褒めてくれる!!

 

脳内彼氏がいるだけで、自己肯定感が自給自足できて少し生活が楽しくなりそうです。

 

さびしいのは心をほったらかしにしているから。

ここ数年前まで、ずーっと心にぽっかり穴が空いていて寂しかった。

さいころから、それまでずっと。

彼氏といても、友達といても、ずっと寂しかった。

寂しくてお酒や過食に走ったりした。それでもだめだった。

 

最近気づいたのは、それは自分の心をほったらかしにしていたからだ、ということ。

自分の心に触れようとしなかった。

自分の本音を聞こうとしなかった。

それよりも、他人にどう思われるか、それを気にして行動していた。

 

そしたら、ほったらかしにされた心が、さびしいよー気づいてよー。って、

そんなことしたくないよー、やめてよーって声を上げていた。

それにも気づかなくて、でも寂しさや謎の不満がつのって、お酒や過食に逃げていた。

 

ほんとうは、心にたくさん栄養をあげてあげることがいちばんだった。

したいことをする、したくないことはしない。

たとえば、好きな服を着る。

食べたくないものは食べない。

休みたいときは休む。

笑いたいときは笑って、泣きたいときは泣く。

なにか強制されても、嫌なものは嫌と突っぱねる。

 

私は恐い母に怒られないように、顔色をうかがってばっかりだったからなぁ。

 

今は少しずつ、自分の心のやりたいようにやっていってる途中だから寂しさは少なくなってきました。

まだまだ、心の声を無視してしまうときもあるから、これからだけど。

この世は等しくくだらない。

実は世界はくだらないものしかない。

私も、あの人も、上司も、

ホームレスも、大企業の社長も、

高級マンションも一軒家もボロアパートも軽自動車も外車も。

すべて価値は同じ。すべてくだらないものである。

 

偉そうにしている上司も、ほんとうはくだらない存在。

かくいう私も、くだらない存在。

だから期待しない、怒らない。

上司に怒られても、自分が失敗しても、誰かに笑われても、

あー、でもどうせみんなくだらないしな。

くだらないやつに何言われても平気だし、くだらない私が失敗しようが別にそんなもんだしな。

そう思えたら気が楽。

しかも、お笑いとかってくだらないものの方がおもしろかったりする。

こどもなんてくだらないことでゲラゲラ笑う。

だから、くだらないこの世の中は、実はめっちゃおもしろい。

くだらないものしかないから、全て楽しい。

このくだらない世界を諦めて、そしてそのくだらなさを思いっきり楽しもう。

期待は不幸のはじまり

ここ最近モヤモヤすることが多かった。

その原因について考えてみた。

もうすぐ誕生日なんだけど、彼氏が翌日に休みをとって当日会いに来てくれる。

でも当日は何時に仕事が終わるか分からない・・・

私はそれまでどうすれば??

そもそもなんで休みを翌日に??

当日にしてくれればよくない??

とモヤモヤモヤモヤモヤ・・・

と、ネガティブ不満の渦に堕ちて気付かなかったんだけど、私期待してたんだ。

彼氏が誕生日を祝ってくれるという期待。

そもそも他人が自分の生まれた日を覚えてくれていて、

なにかしてあげようと思ってくれているだけでもありがたいことなのに。

なのに、

どうせならちゃんと時間決めて会いに来てよ。

休みは誕生日当日にすればよくない!?

なんて過度な期待をしてしまった。

 

いけない、いけない。

人に期待するのはイライラ不幸へのスタートラインだ。

そもそも自分にも期待してはいけない。

きれいになろうと期待して美容をがんばっても、全然成果が出ない。

イライラ・・・

がんばって仕事してるのに認めてもらえない。

イライラ・・・

実はこの世界、自分のことですらも思い通りにはならない。

だって自分は天から借りてる器だし、目の前の現実は思うようにならないゲームの世界。

期待するだけムダ。

期待するぐらいなら、諦めて、このくだらない現実世界を楽しもう。

この世界はほんとうにくだらない。

でも、くだらないからこそ楽しい!

今すぐ期待を捨てよう。そしてくだらない現実を楽しめばいい。